生後間もなく北海道に移り住み、旧制中学校卒業までをこの地で過ごした加藤顕清(1894-1966)は、日本の彫刻界において昭和初期より頭角を現し、1960 年代にかけてその発展を支えました。謹厳で端正な美をたたえた人物像の制作に邁進し、長きにわたり帝展、日展等、文部省が管轄するいわゆる官展系の審査員をつとめます。戦後の彫刻界は野外彫刻の全盛期を迎え、この時期には本郷新や佐藤忠良ら、北海道にゆかりの作家が多く活躍しましたが、彼らの一世代ほど上にあたり、後進の育成にも力を注いだのが加藤でした。
本展では当館の収蔵品の中から、加藤顕清が終生テーマとした人物像や、北海道との関わりをうかがわせる馬の彫刻を中心に展覧します。実直な作風によりアカデミックな彫刻の一典型をつくりあげるとともに、彫刻界の発展に力を注いだ加藤による作品の数々をご覧ください。
加藤顕清 1894~1966
1894(明治27)年に岐阜県に生まれ、その年に北海道へ移り住んだ加藤顕清は、少年期をこの地で過ごしました。上智大学哲学科へ進学するも、北海道出身の彫刻家中原悌二郎を知り、彫刻に魅せられて中退。東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科へ入学すると、高名な木彫家である高村光雲、彫刻に加え文人画にも優れた白井雨山らに教えを受けます。
第3 回帝展に《静寂》を出品し初入選したことを皮切りに、以後毎年入選を果たし着実に制作者としての地歩を固めていきます。その一方、1923(大正12)年には東京美術学校油絵科に再入学して藤島武二から学び、彫刻にとどまらず芸術の道を模索します。
1931(昭和6)年には早くも帝展の審査委員をつとめ、後進を育てる立場へと歩みを進めます。加藤は当時から穏健で古典的な作風と評され、彫刻界におけるいわば保守陣営を牽引する作家とみなされてきました。しかし、その造形は過去作品の繰り返しに終始することなく、いかなる表現を深めていくべきか常に問題意識をもち、公に発言することも多々ありました。