【幻影EASY】彫刻たちの実話

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札幌芸術の森美術館学芸員 井上みどりが解説いたします。

 

 

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 ノーベル平和賞のメダルをデザインしているグスタフ・ヴィーゲランは、画家のムンクと同世代のノルウェーを代表する彫刻家です。生涯で約一六〇〇点の作品を制作したヴィーゲランは、生前にオスロ市と契約を交わしており、その作品は門外不出とされ国外への持ち出しが厳しく制限されていました。そのため、作品は海外に紹介される機会が少なく、日本でもほとんど知られていませんでした。その作品が、どうして札幌にあるのか不思議に思われるでしょう。それは、札幌芸術の森野外美術館を開設するにあたり、札幌市がヴィーゲランの作品設置をオスロ市に再三にわたり交渉し、北方都市間の友好の特例として二十五年契約で借用するというかたちで実現したためです。二〇一二年には、二十五年延長の再契約を交わしました。

 

 ヴィーゲランは、自身の作品にタイトルをつけませんでした。その理由を、「見る者の想像力を縛り付け、制限してしまうから」と語っています。
 

 赤ん坊を前に掲げ、長い髪をなびかせて走る母の像は《母と子》と便宜上のタイトルがついています。ヴィーゲラン広場には、その他に四点の作品があります。作品のタイトルを想像してみてはいかがでしょうか。

 

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1869年 ノルウェー・マンダル市生まれ(父は家具職人)
1884年 木彫修行のためオスロへ
1889年 彫刻家B・ベルグスリーエンの斡旋で経済的援助を受ける
1893年 政府奨学金を受けパリに留学。ロダンの作品に触れる
1900年 噴水設置をオスロ市に提案、ヴィーゲラン公園構想の始まり
1905年 木と人物20点エスキース制作
1907年 噴水制作が市議会にて可決
1921年 市と契約(市はアトリエの提供や生活費、創作活動の費用一切を負担し、代わりにヴィーゲランは全作品を市に寄贈する)
1929年 ≪モノリッテン-人間の柱≫制作着手(‘42年完成) 
1943年 73歳で死去
1947年 契約に従いアトリエを「ヴィーゲラン美術館」として公開

 

 

 

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